Twitterの凍結解除について

不測の事態により誤って主公開アカウント (@_uts2) が凍結されていましたが,解除されました.このたびはご心配とご迷惑をおかけしたことをお詫びします.ありがとうございます.

Twitterについて

現在 Twitter の大学垢 (https://twitter.com/_uts2) が不測の事態により誤ってロックされていることが確認されています.Twitter 社には解除願いの appeal をすでに届け出済みなのでしばらくお待ちください…

樹海に行ってみた話

ふとひとりでさみしくなることがある…

つらい,しにたい.

そんなとき,どうして生きなくてはいけないのだろうか.まって,生きて…なんて私も人には言うけどそれはきっと本能的なエゴだ.

別に好きなようにすればいいのかもしれない.現実逃避もまた,肯定的な生きる手段だと思う

この前,私はふと思って有名な樹海方面への高速バス片道切符を買った.少しでもさみしくてつらい気持ちを見えなくして,その場をやり過ごそうとしていたんだと思う.帰りは適当な電車にでも乗って帰ってくればいいと思ってた.

ところでここは有名な自殺スポットである.多くの行方不明者を出しているとしてよく知られているし,不気味な場所だとなんか思われている.まあ私は好奇心もあって観光名所には脇目も振らずそこに直行することにした.

私は乗り継いだバスを降りた.バスにはもうあまり人はいない.バス停の周りの人は別の観光スポットの方に歩いていく.私は逆側の道をたどった.樹海の最深部へと進んでいく細い道だ.

でもこれはあくまで遊歩道である.別に登山でもなければ,何もない森林を突っ切っていくわけではない.きちんと整備されているし,きれいに掃除されている.そして空気がきれいだ.そして美しい緑の光…明るい場所だった.

きれいだ…

私は声を漏らした.私は息をいっぱいに吸いながら歩道をそれることもなく樹海の中を進んでいった.

ここは確か溶岩流のあとに自然のままに森林が育った場所だったと思う.遊歩道のまわりは人工的だったけれど,とても落ち着く場所だった.この場所には世間では悪いイメージばかりがつきまとう.でも私は純粋にここはいいところだったと思う.

そうしていたときだった.

「もしもし?」

制服の警察官がそばに駆け寄ってきた.

「何をされているのですか?」

いや,ちょっとつらい気持ちになって…

「ちょっと警察署まで行こうか.」(強制)

もうひとりの警察官もやってきて駐車場まで連れて行かれてパトカーに載せられた.警察無線でなんかしゃべっている.

私はそうして警察署に連れてこられて保護(閉じ込め)されてしまった.

ちょっとー…

想定外の事態に私はとまどうばかりだった.確かに軽装でひとりで自殺名所をトボトボ歩くうつむきな人…自殺志願者に見えたのかもしれない.私が暗い表情だったのは事実だ.だってつらいのは本当だから

結局私が解放されたのは深夜,帰宅は日付が変わってからだった.

残念,失敗.

つらいときには死ななくても自殺スポットに行くのは悪くないと思う.だってそれは生きるための手段だから…でも,今回の私の体験からわかるように,ひとりでいると捕まる可能性が高いから,なるべく友だちと行きましょう.(笑)

過去・現在・未来を生きること

いままで、私は過去のことにとらわれて、「いま」を生きることができなかった。…あのとき私が軽はずみな行動(自殺未遂みたいなこと)をしてしまったせいで、ひょっとするとひとりの人に生きるのをやめる決心の後押しをしてしまったかもしれないと考えるととても悲しくて、申し訳ない、言葉では言い表せないような気持ちになる。たしかに、過去を清算することはできない。私たちは過去とともに生きていくしかないのだ。それでも、過去を反省して、「いま」の行動に反映させることならできる。私にはそれをする道義的責任がある。

いま、私は目の前のことにとらわれて、未来を見ることができていない。休学するのかどうか、それも決めないといけないのだけれど、悩み続けている。今日の予定、明日のことを考えるのが精一杯で、先のことなんて考えられなかった。

思考が止まってしまうのだ。電話越しで話していても、おそらく、言葉がめぐって詰まって出てこない様子は伝わるだろう。これは精神運動制止と呼ばれる症状かもしれない。頭が働いてくれなくて集中どころではないのだ。ガクッと落ち込んで動けないときもある。そんなわけで薬の調整が入った。サインバルタ®というSNRI(セロトニン・ノルアドレナリン再取り込み阻害薬)に属する抗うつ薬を処方されることになった。これで意欲が改善して行動できるようになるといいのだけれど。

薬の副作用も気になった。エビリファイ®という非定型抗精神病薬を処方されていたのだけれど、ろれつが回らなくて明らかに自分でも苦痛で、聞いている・見ている人にもわかる状態だったので、抗コリン薬を入れた上で、薬を減量した。それでも足がそわそわするなどの症状は残った。

自分で自分のことを評価することができていないと言われた。自分に価値を感じられないから、悪い意味で何でもできてしまう。主治医の先生には少しでも出かけられている、行動できていることを自ら評価するようにと言われた。大学の保健センターの先生からも、作業(勉強など)をすると、頭がかつて思っていたようには働かなくて、こんなはずではなかったのに、となるかもしれないけれどそれはリハビリだから、少しずつ進めていくしかない、とも言われた。

また、依存する関係ではなく、普通の友人関係を増やしていくべきだと言われた。私はどうしても頼れる人を求めてしまう。人を頼りにするということは自分を不安定にすることなんだって。関係がうまくいかなくなる不安に襲われると行動が先鋭化してしまう。死ぬって何度も言ったけど相手にされないし結局まだ死んでいない。さびしい。見捨てられるのが怖い。

難しいかもしれないけれど極端な思考をするのをやめるように、とも言われた。他人(ひと)に対しても、自分に対しても、全てか無しか求められない。あの人はじつは悪い人ではないか、信用できない、とか、理想化と両極端に走りがちなのかもしれない。

空っぽな気持ちを埋めるために衝動的な行動に走る。動けるときは。でも、肝心なことは何もできていない。今書いているこの文章もつたない。読書をすること、座ってこうして文章を書くことも大変……

はたして、私は勉強できるようになるのだろうか。そして私の人生は修復可能なのだろうか。その先に残された生があると信じるなら私は行動し続けなくてはならない。まだまだ未解決の課題がいくつもあるのだから。もちろん、私の人生には致命的欠陥がいくつかある。だけど対処法はあるはずなのだ。

@私 生きることができる可能性を追求して


メンヘラ.jpに今年初めに書いた記事が載った。

親に求められて獲得した「理系東大生」という肩書きの代償 – メンヘラ.jp

変な文章を読んでくださって掲載していただいた関係者の方には心から感謝したい。